私は、俗流伝統主義者と違って、子のつく女子名は日本の良き伝統だと言いたいのではない。庶民の女子名に子をつけるようになったのは、明治半ば過ぎ、すなわち二十世紀に入ってからだ。皇族華族の女子名に子がつくのに憧れたのだ。その憧れの是非は今論じない。ともかくも「目標」があった。一方、昨今の暴走万葉仮名の女子名はどうか。独自性・独創性(ホントに独自・独創かどうかはともかく)の追求の果ての「俺様(おれさま)化」である。むろん実績の伴う俺様ならけっこうだが、そうでないことを私は体験的に知ったのだ。
ひねくれてしかかけない私とは大違い。
心臓の動きを抑制する薬を4種類飲んでいるからねぇ。