ぶす〜そうだ京都,行こう

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IMG_0144.JPG IMG_0146.JPG  乾燥が続くなか、授業等で話をすると、どうしても喉がやられてしまいます。ひどいときは、それだけで高熱になり、ダウンしてしまうのです。そこで、喉を癒すべく、この時期、飴をなめるのが習慣になっています。今年は、例年のような無機質な飴ではなく、麦芽糖にこだわってみました。というのも、先々週、京都で刑法学科の関西部会があり、それにいってきたので、その際に適宜買い集めたからです。その前にも、通販で買ったものもありますが。
# 修正面倒なのでそのままですが,これは,すでに先週初めに書いたものです。


 なお、「ぶす」というのは、ぶさいくな女性ということではなく、亀屋伊織が細見美術館(平安神宮のすぐそば)で販売している最高級水飴(製造されている方は、なんともない水飴といわれていますが、高すぎます)です。狂言「附子」に由来する名前のようです。関西部会当日も、覗いてみましたが、売り切れでした。
# 写真右は,京都駅の新幹線構内にあった茶寮宝泉の薄茶と生菓子。白小豆のぜんざいにしようか悩んだのですが,喉を潤すため,こちらに。お菓子は,ういろうに柚餡だったような記憶が。。。それにしても,ぜんざいを頼む人が多い割に,白小豆は,さけられていましたが,値段が同じで,二者択一なら,大納言ではなく,白小豆でしょう。
# 写真左は,新幹線の車窓からの富士山。iPhoneのカメラの受光部がCMOSイメージセンサーによるため,電柱や建物が流れています。実は,富士山も微妙に流れているようです。

DSCN3357.jpg  飴というとき、もともとは水飴で、それが砂糖と合わせることで固形飴へと変化したということです。その昔の水飴の面影のあるのが「幽霊子育飴」(お皿では,右下)でしょう。麦芽糖の水飴は、滋味に富んでいたからでしょうか。袋についていた由来書きによると,幽霊とされた江村氏妻を葬ったのが慶長4年(1599年)ですから,410年前には,この飴屋さんは,存在していたことになります。これくらいだと,京都でも,立派な老舗になるでしょうか。
# 京都だと,100年くらいだと全然老舗と思われないですから。

 飴は,昔の飴はこんなんだったのかという感じで,かなり水飴の味が強くでています。その辺の飴は,工業生産の水飴に砂糖で飴を作るので,香料が味の決め手になるのですが,こちらは,醤油ではないのに,どことなく醤油にちかい風味がします。また,そのへんの飴のように甘さがどぎつくなく,固形化された水飴です。

 幽霊子育飴のお店は,六道の辻あたりにありますので,松原通から歩いて向かいました。そのとき,松原橋のところに坂東飴という古い看板の店をみつけました。そこで,ふつうそうな黄金,黒糖ではないと確認して買った都ノ石,両者の中間の菊のつゆをを買いました。こちらも,かなり昔ながらの水飴を固めたものという感じの飴ですが,飴を作るときに,砂糖をうまく,キャラメル化しています。色の濃さの違いは,キャラメル化の程度というところです。一番黒いものは,プリンのキャラメルソースくらいのものに仕上がっています。それでも,ひつこくないのは,水飴がよいからでしょうか。
 (つづく)

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このページは、Tetusya Ishiiが2009年2月15日 04:15に書いたブログ記事です。

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