2005年8月アーカイブ

期待可能性の不存在

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 アゲアシトリです。

 民法教員のタテマエ? 2nd ed.の「ノーアクションレターとは」というエントリーで、

もうだいぶ昔になりますが、私が学生の頃、刑法総論の授業の中で責任阻却事由としての期待可能性(←これもわかりにくい言葉だ)の話になり、いわゆる適法行為の期待可能性が問題になる場合として専門家の助言を得てした行為が云々というテーマがあがりました。確か期待可能性なしとして責任阻却される範囲は相当に狭かったと記憶しています。

とあるのですが、たぶん違法性の意識の可能性の話とまぜこぜになっています。

 判例は、違法性の意識不要説にたっていると理解されていますが、下級審判決の中には、違法性の意識の可能性がない場合、故意または故意責任を否定すべきであるとの立場から行為者の責任を否定したものがあります。所管官庁の助言という点でみれば、石油カルテル生産調整事件(東京高判昭和55年9月26日高刑集33巻5号359頁)が有名です。石油の生産調整が通産省(当時)の行政指導のもとにおこなわれ、公取もこれについてなんらの措置をとらなかったという事情に関して、自らの行為について違法性が阻却されると誤信していたため、違法性の意識を欠いていたものと認められ、また、その違法性を意識しなかったことには相当の理由がある、として、裁判所は故意を否定しました。

自殺予告と緊急避難

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 自殺予告で発信者情報を警察に開示するガイドライン策定へということで、ネットでの自殺予告の書き込みに対するプロバイダの対応について、電気通信事業者団体がガイドライン案を作成し、意見を募集するそうです。ガイドライン本体は、例えば、テレサ協だとここです。

 ガイドラインは、警察からの照会による発信者情報の開示を緊急避難行為と位置づけて、これに該当する場合には、情報の開示が可能であるとするもののようです。

包括一罪と観念的競合

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 引きこもっている間にいろいろおもしろいことが起きていたようですが、かなり古いネタでいくと、街頭募金の詐欺について、被害者をすべて特定できないから、全部まとめて包括一罪にしようとかという話があります。別にやってもらってもよいのですが、罪数論にかなりひずみを生じさせるような気がします。
 従来は、包括一罪は基本的に法益侵害の一体性を根拠に一罪とすることができたわけで、その意味で違法の一体性が基礎にあります。ところが、法益侵害が複数にわたる場合にまで包括一罪を肯定しようというわけで、もしそれが可能ならば、街頭募金という継続的な行為の一回性、より厳密には責任の一体性を根拠にせざるを得なくなります。でも、このような責任の一体性あるいは行為の一回性というのは、観念的競合がもともと受け持っていた領域だったわけです。このことは、方法の錯誤において法定的符合(抽象的法定符合)説が実体法上複数の故意犯の成立を認めても、観念的競合で一罪として処罰するので、責任主義に反しないとしていることから容易にわかります。
# もっとも観念的競合は、責任の一個性というより、量刑事情の重複による二重処罰の回避という面が強いかもしれません。そういう意味では、刑事責任の一個性というほうが適切でしょう。

 清和法学研究12巻1号65頁以下。ようやく社会復帰で、手始めに紹介。
<目次>
第一章 問題の所在
第二章 各行為態様とその区別の基準
 一 頒布と販売
 二 販売目的所持
 三 公然陳列
第三章 電脳空間への適用
 一 画像公開事例
 二 メール添付事例
第四章 立法動向とその問題点
 一 二つの法案
 二 検討
第五章 結語