2005年11月アーカイブ

「へ」の「三番」

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 あた〜り〜。ゼミ生からきいた話であり、伝聞なのでわからないが、北大の法科大学院の入試問題をσ(^_^)があてたらしい。

 先のエントリー承継的共同正犯と同時傷害の続きです。一罪性の話は後回しにして、冒頭の事例において、承継的共同正犯を認めない場合はどのようになるのかということを考えてみましょう。話を単純化して、Aがまず暴行罪を実行し、その後AとBの共謀により暴行罪が実行されたということにします。そうすると、Aについては、暴行罪の単独正犯と暴行罪の共同正犯が、Bについては暴行罪の共同正犯が成立することになります。

 Xの傷害について、通常、Aはその責任を負うべきだとして、Aに傷害罪を認めるべきであるとされます。しかし、Xの傷害がAの単独の暴行によって生じたのか、AとBの共同の暴行によって生じたのかが明らかではないので、たしかに包括一罪として傷害罪が成立するものの、実体法的なレベルにおいて、単純に傷害罪が成立しているとみることは正確ではないでしょう(大阪高裁判決は包括一罪と実体法上の一罪を区別しています)。包括一罪として評価される暴行行為のいずれかによってXの傷害が生じているのですが、構成要件的な評価の次元で厳密に考えるならば、この場合、Aの単独の暴行行為による傷害罪とAとBの共同正犯による傷害罪との択一的認定が、暗黙の(あるいは明示的な)前提になっているといえます。
 なお、大阪高裁判決のいうように、一個の暴行行為により一個の犯罪が完結していることを前提にして、かつ、事実記載説を徹底するのであれば、択一的に訴因を記載して起訴状を作成すべきであり、択一的認定を判決においてもなすべきであるということになるでしょう。

承継的共同正犯と同時傷害

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 承継的共犯のテーマだったので、HD法科大学院の演習問題の事例

 AがXに対して暴行を加えた直後、Aと意思を連絡して、BもXに暴行を加え、傷害を負ったが、Bの加功前のAの暴行によるものか、加功後のA、Bの共同暴行によるものなのか判明しなかった。

について、学部演習で扱いました。

 ゼミの話はおいておいて、気になったことは、傷害罪に関する承継的共同正犯の判例として、大阪高判昭和62年7月10日高刑集40巻3号720頁をあげて、それと同じ論理で、上記のような事例を「判例同旨」として解決しようとする学生が多いことです。この判決の要点だけを抜粋すると、
 先行者の犯罪遂行の途中からこれに共謀加担した後行者に対し先行者の行為等を含む当該犯罪の全体につき共同正犯の成立を認めうる実質的根拠は、後行者において、先行者の行為等を自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用したことである。
 承継的共同正犯が成立するのは、後行者において、先行者の行為およびこれによって生じた結果を認識・認容するにとどまらず、これを自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用する意思のもとに、実体法上の一罪(狭義の単純一罪にかぎらない。)を構成する先行者の犯罪に途中から共謀加担し右行為等を現にそのような手段として利用した場合にかぎられる
 先行者が遂行中の一連の暴行に、後行者がやはり暴行の故意をもって途中から加担したような場合には、一個の暴行行為がもともと一個の犯罪を構成するもので、後行者は一個の暴行そのものに加担するのではない上に、後行者には、被害者に暴行を加えること以外の目的はないのであるから、後行者が先行者の行為等を認識・認容していても、他に特段の事情のないかぎり、先行者の暴行を、自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用したものと認めることはできない
 被害者の受傷の少なくとも大部分は、被告人の共謀加担前に生じていたことが明らかであり、右加担後の暴行によって生じたと認めうる傷害は存在しない。

Online-Demo-Fall

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FAMOS September 2005

Nötigun / Gewalt / Vesammlungsfreiheit / Datenveränderung / Öffentliche Aufforderung zu Straftaten
§§ 111, 240, 303a StGB ; Art. 8 GG
Leitsätze der Verf.:
1. Wer dazu aufruft, eine gewerblich genutzte Internetseite durch massenhaften Zugriff für andere zu sperren oder den Zugang zu erschweren, macht sich wegen öffentlicher Aufforderung zu einer Straftat, nämlich zu einer Nötigung mittels Gewalt, strafbar.
2. Eine solche „Online-Demonstration“ steht nicht unter dem Schutz des Grundrechts der Versammlungsfreiheit.
AG Frankfurt/M., Urt. v. 1. Juli 2005 – Az. 991 Ds 6100 Js 226314/01; abrufbar unter www.agfrankfurt.justiz.hessen.de, dort „Pressemitteilungen”, Mitteilung vom 22. 07. 2005.

事実の概要
 政治的内容をもつインターネットサイトの運営者であるAは、インターネットにおいて、また、びらで、ルフトハンザのホームページを封鎖するよう呼びかけた。そうすることで、外国人の強制送還に企業が協力していることに抗議するというものであった。ルフトハンザのインターネットサービスに大量のアクセスをすることによって、二時間、オンライン予約をおこなうことができないようにしようと計画したのである。Aは、共犯者たちに、自己のインターネットサイト上で、わずかな時間的間隔でアクセスすることを可能にするソフトを無償でダウンロードできるようにした。
 Aは、そのような活動を新たな形態のデモだと考え、弁護士に処罰を考えるべきかどうか照会した。弁護士の情報によれば、可罰性はなく、せいぜい秩序違反があるにすぎないというものであった。Aは、弁護士の助言により、その活動を「オンライン・デモ」として公安当局に申請した。そのようなデモの申請は規定されていないとの回答を受け取った。そのほかにも、Aは、その計画をEメールでルフトハンザの代表取締役に予告した。
ルフトハンザは、念のため、データ伝送のための能力を拡張したが、それにもかかわらず、重大な障害が発生した。13,600のインターネットアドレスからの1,200万アクセスによって、ルフトハンザの顧客のためのサイトの構成が3ないし10分遅滞した。一部では、完全にダウンしてしまった。およそ5万ユーロの損害が発生した。

胎児傷害

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 交通事故で、妊婦に加害し、胎児を死亡させた場合、どのようになるのか、というのは、胎児性致死傷の例でよくもちだされますが、実際の事件です。

凍結路面でハンドル操作を誤った対向車が中央線を越え、夫妻の車に衝突。運転席の夫は鼻骨骨折、妻は左手骨折の上、下腹部を強く圧迫された。胎児は帝王切開で生まれ、11時間の命だった。

 新聞記事なので、感情に訴えるような書き方ですから、その主張である「胎児に人権はないのか」の徹底した行き着く先など考えてはいないでしょう(アメリカの社会保守派のように、受精時から人として扱うべきというなら、それはそれでいいのですが)。
# お@ほ大さんがコメントしていますから、ついエントリーにしちゃえと思っただけですが。ほ大の法科大学院の入試も医事刑法がらみがしつこく出題されていますし。

 胎児性致死傷については、水俣病の最高裁決定(最決昭和63年2月29日刑集42巻2号314頁)が有名です。

胎児は、堕胎罪において独立の客体として特別に規定されている場合を除き、母胎の一部を構成するものとして取り扱われていると解せられるから、業務上過失致死罪の成否を論ずるにあたっては、胎児に病変を発生させることは、人である母胎の一部に対するものとして、人に病変を発生させることにほかならない。そして、胎児が出生し人となった後、右病変に起因して死亡するに至った場合は、結局、人に病変を発生させて人に死の結果をもたらしたことに帰する。

情報の所持

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 SADFEの続きをここでやるのもへんかもしれないが。「digital objectの所持」とはなにかというプレゼンがありました。やっている人は技術者の人なのですが、個人的な考えとかなり同じ方向にあるので、興味をひきました。内容は、簡単に言えば、electronic dominion/ controlがdigital objectの所持であるというもの。リンク貼ったりするのも、アクセス可能性を作っているので、electronic dominionではないかという質問がありましたが、それは論者の考えを誤解しているように思います。もっとも、electronic dominionがどのような内実なのかが、それほどはっきり示されなかったということもあります。ケース志向なので、抽象的な一般的規準を提示しえなかったという方法論的な問題がそこにはあるのではないでしょうか。
 そもそもが、情報を所有するという状態は、なんらかのメディアによってしかなしえないということが忘れられてきたのではないでしょうか。そして、コピーコントロールができていれば、メディアを所持していることによって情報を所持し、所有できているということであった。文書を所有しているということは、紙の束を所持・所有しているにとどまらず、その記載内容をも所持・所有しているということは、実は以前から前提とされてきたように思います。機密情報の窃盗等の事案で、「情報の化体した媒体」を「財物」とするということがなんかとんでもなくすごいことのように刑法の本に書いてあったりしますが、以前から本屋で「情報の化体した媒体」としての本を万引きしたら窃盗となったのと同じように、企業内の書類も考えたということにすぎなかったりするのです。ずうと大昔は、口伝しかメディアがなく、語り部のように口伝する人たちを支配・所有しておけば、情報を所有できていたのでしょう。文書化されれば、文書の支配・所有が情報の所有となったのです。

 

未必の故意なんていらない

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 たまには本業に戻るためのそなえをしておかないと。。。
判決文、わかりやすく 最高裁、裁判員導入へ文例検討という記事をみたのですが、文例をやさしくするのはいいのですが、問題は認定のあり方あるいは法概念のあり方にあると思うのです。

専門家の間で当たり前のように使われてきた「未必の故意」は、「とっさに『死んでもかまわない』との思いを抱いたとしても特に不自然ではない」と言い換えた。
 ということですが、これでもかなり心理主義的な故意概念を前提しているのではないでしょうか。でも、そんな心理的事実の存在にそれほど意味があるのかどうか、疑問に思っています。そのような心理的事実の存在それ自体は責任ではないでしょう。非難可能性の基礎は反対動機形成可能性ということではなかったでしょうか。だったら、故意については規範的な概念を呈示しておいて、あとは事実認定の問題にもっていけばたりることです。未必の故意なんていう心理的状態それ自体を故意として意味あるものとすること自体が、実は問題があるように思っています。
# フォイエルバッハの誤謬はこのような故意の心理主義的理解にあるなんてことは、えらくはないので、とてもいえないですが。。。

そもそも、端的に「殺意があったかどうか」でいいじゃないかと思うのです。問題は、殺意の有無をどういう事実を基礎に、どのように認定していくのかというプロセスにあるのではないでしょうか。刺したのかどうかとか、刃の向きはどうかとか、傷の深さはどうかとか、どういう状況だったとか、などなど。現在は裁判官がこれをおこなっているので、裁判員制度では、従来のこの認定プロセスをどのようにしていくのかということが問題の本質のような気がします。

共犯論における主観説

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 ドイツの共犯論において、判例(最近は動揺しているという評価もあるが)は主観説です。では、なぜ主観説がこうも根強く存続しているのでしょうか。

 答えは。。。

歯医者の刑事責任

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Kathin Janke, Die strafrechtliche Verantwortung des Zahnarztes (LOGOS Verlag, 2005).

本書の冒頭にもあるように、歯科医療と刑法というテーマなど誰も考えたことがないのではなかろうか。それでも、医療過誤という側面からみれば、医療である以上、歯科医師の刑事責任を問題になってくる余地がある。しかし、どこまでが過誤でどこからが治療の副作用かということがきわめてわかりずらいところに、歯科医の刑事責任、そろどころか民事責任がなかなか問題にされない理由がありそうである。審美的な処理(歯列矯正や漂白等)についても、いろいろ書かれている、図や写真がたくさん載っている。

中立的行為による幇助

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Beihilfe durch neutrale Handlung
(in: Bernd Heinrich, Strafrecht — Allgemeiner Teil II (Kohlhammer, 2005), Rn. 1534.)

a) Extensive Theorie:

b) Lehren zur Einschränkung des objektiven Tatbestandes;
 aa) Lehre von der Sozialadäquanz:
 bb) Lehre von der professionellen Adäquanz:
 cc) Lehre von der objektiven Zurechnung:

c) Lehren zur Einschränkung des subjektiven Tatbestandes:
 aa) Dolus-eventualis Theorie
 bb) Lehre vom Tatförderungswillen:
 cc) Lehre vom deliktischen Sinnbezug:

d) Lehre vom Rechtswidrigkeitsausschluss:

MP3, P2P und StA — Die strafrechtliche Seite des Filesharing

Thomas Frank, in: Kommunikation & Recht 2004, SS. 576-586.
I. Einleitung
II. Die Neuregelungen des Urheberrechtsgesetzes
III. Die Strafbarkeit des Filesharing nach dem Urheberrechtsgesetz
 1. Das Bereithalten zum Download
 2. Der Download von Dateien
  a) Rechtmäßigkeit der Kopiervorlage
  b) Offensichtlichkeit der Rechtswidrigkeit
  c) Analogieverbot im Strafrecht
IV. Ergebnis und Ausblick
 1. Strafwürdigkeit und Strafbedürftigkeit
 2. Europäische Entwicklungen

コピーはオリジナルが必要

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Kopien brauchen Originale.
概要をちょこっとだけ紹介。
コピー保護があれば補償金は不要、なければ必要。というテーゼはiPodに妥当するのか?疑問は、紹介をとばした補償金の算定のところで解消されるのかもしれない。

I. 経緯
 著作権の改正の1. Korb(2003年の改正のこと)は、情報社会における著作権に対するEU指令の強制規定を転換したものである。この指令が強制的に規定するのではなく、加盟国の規制にゆだねているものが、2. Korbに留保されたまま残っている。連邦司法省は2. Korbの草案をまとめあげ、2004年9月9日に公開した。それ以降、草案は、シンポジウム、メディアの記事・論考など種々議論され、批判や問題がしてきされ、12月おわりからはオンラインフォーラムでも各種意見が表明されきた。こうした意見の形成過程を注意深く取り入れ、いくつかの点で草案を見直し、改善した。上記意見においても圧倒的に一致のあった基本的な判断については、草案は堅持している。このことは、私的コピーおよびコピー保護メカニズムによる私的コピーの制限についても、機器および記憶メディアに対する補償金の確定を関係者の手にゆだねるという基本的な判断についても妥当する。

2. Korb

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Kopien brauchen Originale.
 ドイツ著作権法の新しい改正案では、デジタルマテリアルを前提としたさらなる著作権保護のあり方を提案している。とくにメディアや機器への補償金制度に関するところは、かなり参考となるのであるが、わが国においてはほとんど顧みられていないのではなかろうか。

Vgl. Trinkel, Stephanie, Ein Korb voller Fragen: Das neue Urheberrecht — Poitik und Musikwirtschaft im Einklang?, in: Kommuinkation & Recht 2004, S. 584ff.