2006年1月アーカイブ

刑罰法規の包括性

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 外にいると、やはり国内の報道はわかりづらいところもあります。ネット配信のものでは、簡潔にまとめすぎてよくわからなかったりして。それはともかく、ライブドア事件もどこまで進展したのかわからないままなんですが、当初みられた主張に証取法の規定が不明確とかってものがあったようです。これは、1〜2年前のWinnyのときの幇助の規定が不明確っていう主張と同じようなもんではないでしょうか。
 私自身は、いずれも包括的ではあるが、不明確とはいえないと思っています。ただ、包括的であるがゆえに、不法の内実をきちんと把握することが必要ではあるでしょう。なお、日本の刑罰法規が包括的な規定形式であるというのは、伝統的なところがあるようで、比較法をするときに困ることも多かったりします。
# そういや、電気通信事業法の通信の秘密も包括的という人もいますね。

 もっとも、冒頭の証取法も幇助もいずれも不明確だとか、いずれも広すぎるというのは、ある意味、感覚として一貫しているわけで、いずれか片方だけについて、明確だとか、広くないというのは、ちょっとバランスが悪い見方かもしれません。なんてことを昨日の報告と重ね合わせてみて、思ったりして。。。

 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」の「違法性の意識」に関する供述(弁解)で、

このように、「違法性の意識」の問題は、捜査の当初では、抽象的に持ち出されやすい傾向がありますが、捜査の進展につれて、個々の具体的事実に対する認識の有無や、目的犯であれば目的の有無、といったことが問題になって行き、違法性の意識自体を独立して問題にする、ということが次第になくなる、というのが、実務の通常の流れと言えるのではないかと思います。

とあったということで。昔々、違法性の意識は故意の事実認定に解消されると論文で書いたんですけど、これでいけそうだということで。もっとも、

この犯罪構成要件において、実務上、問題になりやすいのは、「相場の変動を図る目的」ではないかと思われます。「目的」ですから、通常の「故意」(一定の事実の認識・認容)よりは、より強い心情が予定されていると解されます。

という点については、「心情」の意味により誤解されやすいかも(心情とかって、それだけで拒否反応を示されることも多いし)。目的も故意と併せもって法益侵害性にかかる主観的側面だということにすぎないとは思うのですが、これはまた別の機会ということで。
# こんなことしてる場合じゃなかったんだわ。英語の読み上げ原稿書かないと。といいつつも、Rodeo Dr.でみたSEGWAYの走る姿はかっこいい。日本でも公道で乗れるようにしてほしいと思ってみたりして。

 詳細な事実は不明なので、推測でしかない。だから、事実によっては違うということもあろう。今回の逮捕は、偽計と風説の流布による証取法違反であるが、取引目的または相場変動目的がないといけない(証取法158条)。で、おそらくこれによる株価のつり上げが問題とされているのであろう。本件以外にも、粉飾決算が捜査の射程とされているそうである。たしかに、これまでは、企業法務戦士の雑感に書かれているように、

山一證券やカネボウ等で問題になったのは、
「債務隠し」によって、財務状況の悪化を隠す行為であったし、
ベンチャー等で問題になったのは、ありもしない取引を偽装する行為であった。

あるものを隠す、あるいは何もないのをあるように見せかけると、
結局、どこかで辻褄が合わなくなって、
企業が「突然死」するおそれがある。
したがって、このような行為の違法性はきわめて高いといわざるを得ない。 といえる。

 前のエントリにあるように、日本では、逮捕された段階でアウトという評価を下すのが普通のようである。今回の件について、報道されている事実をみてもあまりよくわからないので、法的に評価しようがないところも多い。なんで違法なのかと個人的に質問されてくる法務関係者もいるけど、勉強不足もあり、わかりませんと答えるほかはない。匿名組合による買収スキームもわりとよくあるものともきく。
# というわけで、来年度の経済刑法の課題はこれでいこうかとも思ってみたりして。
 実際に公になっているものとしては、企業法務戦士の雑感がある。そして、そのライブドア社は「犯罪」を犯したのか?というエントリに書かれているように、

今後、実際にライブドアが何を行ったのか、
そして、そのどこが証取法違反にあたるのか、
ということをより明確にしていかない限り、
今回の事件の教訓は次代に生きてこない、

 というわけで、おそらく起訴されるであろうから、検察官と裁判官には、違法の限界線をどこに引くのか、なぜそこが限界線となるのかということを合理的に説明してもらいたい。ついに来たその時。に述べられているように、

当事者が“グレーだが合法”と判断して行った行為については、
それを「クロ」と断言するだけの確固たる“理屈”を示す義務が、
検察関係者(&規制当局)にはある、と思うのだ。

日本人の法意識

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 「逮捕はやむを得ない」という記事から。IRと会計の専門家が次のように語ったらしい。


「少なくとも司直が判断した以上、法の処罰を受けざるをえないのではないか。世論に裁判官も敏感になっているから、(堀江氏らが)裁判に勝てる見込みはないだろう」と話した。

 「司直」というのは、本来法にのっとって裁く役人のことなので、今なら裁判官のことだというのは、細かい話。たしかに「司直」がそのように判断したなら、処罰を受けざるをえない。しかし、東京地検の検事さんたちは厳密には「司直」ではない。
 ところで、裁判官が世論を気にして、法の解釈をいろいろ変えていくということなのだろうか。世論が黒といえば、裁判官も黒ということなのか。刑事責任は国民の意識によって決せられる?

虞犯がださい

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 ださいかどうかはともかく、小西暁和「『虞犯少年』の概念構造(1)〜」早稲田法学79巻3号123頁、80巻1号111頁は、これまであまりかえりみられなかった虞犯について、立法史からはじめ司法、行政の側面での分析をおこなうもの。(3)まででていたと思っていたのは、記憶違いか。研究報告を聞いていたので勘違いしているのかもしれません。
 おそらく、少年担当ジェイのつぶやきで触れられている改正についても、きちんとした検討がなされるものとおもいます。論文のほうは、かなり理論的に詰めていこうとしていますので、ぐ犯概念の敗北?以降のエントリと対比して読んでみるとおもしろいかもしれません。

# ほかにも、領得行為、通説の故意概念に内在する幻覚犯と不能犯の混同の話、独禁法関係の保護法益の話などいろいろネタはあるのですが、忙しすぎて書ききれません。ひまになったらまた。

47 U.S.C. 223 (h) - before
(h) Definitions
 For purposes of this section -
 (1) The use of the term “telecommunications device” in this section -
  (A) shall not impose new obligations on broadcasting station licensees and cable operators covered by obscenity and indecency provisions elsewhere in this chapter; and
  (B) does not include an interactive computer service.
 (2) The term “interactive computer service” has the meaning provided in section 230(f)(2) of this title.
 (3) The term “access software” means software (including client or server software) or enabling tools that do not create or provide the content of the communication but that allow a user to do any one or more of the following:
  (A) filter, screen, allow, or disallow content;
  (B) pick, choose, analyze, or digest content; or
  (C) transmit, receive, display, forward, cache, search, subset, organize, reorganize, or translate content.

ここで問題

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 越権的領得行為説というのを知っていますでしょうか。

 というわけではないだろうが、C. Roxin, Strafrecht, AT Band I, 4. Aufl., 2005が送られてきた。1136頁あっても、49ユーロということで、出血大サービス。『ロクシン刑法総論〈第1巻〉基礎・犯罪論の構造』という翻訳は、前の三版をもとにしているが、Band I全部が完結しないうちに、改訂されてしまった。
 一緒に届いたのは、Klaus Günter, Schuld und Kommunikative Freiheit, 2005 (Juristische Abhandlungen Bd. 45; Vittorio Klostermann). Habilitationsschrift. こちらよりも、KudlichさんのHabilitationsschriftを待っているのだが、なかなか届かない。。。