後出しじゃんけんに勝つ方法

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 前のエントリにあるように、日本では、逮捕された段階でアウトという評価を下すのが普通のようである。今回の件について、報道されている事実をみてもあまりよくわからないので、法的に評価しようがないところも多い。なんで違法なのかと個人的に質問されてくる法務関係者もいるけど、勉強不足もあり、わかりませんと答えるほかはない。匿名組合による買収スキームもわりとよくあるものともきく。
# というわけで、来年度の経済刑法の課題はこれでいこうかとも思ってみたりして。
 実際に公になっているものとしては、企業法務戦士の雑感がある。そして、そのライブドア社は「犯罪」を犯したのか?というエントリに書かれているように、

今後、実際にライブドアが何を行ったのか、
そして、そのどこが証取法違反にあたるのか、
ということをより明確にしていかない限り、
今回の事件の教訓は次代に生きてこない、

 というわけで、おそらく起訴されるであろうから、検察官と裁判官には、違法の限界線をどこに引くのか、なぜそこが限界線となるのかということを合理的に説明してもらいたい。ついに来たその時。に述べられているように、

当事者が“グレーだが合法”と判断して行った行為については、
それを「クロ」と断言するだけの確固たる“理屈”を示す義務が、
検察関係者(&規制当局)にはある、と思うのだ。

 ただし、今回のライブドアの行為が証取法に違反する行為であったとしても、それだけで犯罪成立とするのも、実は考えものである。マスコミやマスコミ迎合的な自称専門家たちが非難しているように、ライブドア自身は法の隙間をついているつもりだったかもしれない。そうすると違法性の錯誤ということになる。つまり、「当事者が“グレーだが合法”と判断して行った行為については、」故意責任が否定される余地も理論的にはあるといえる。
 判例は、一応、違法性の意識不要説だとして、違法性の錯誤があっても故意を阻却しないとの立場をとっているとされる。しかし、羽田空港ビル事件や百円紙幣模造事件の最高裁の態度は、違法性の意識の可能性を故意責任の要件とする方向へ転換する雰囲気を匂わせているものと評されている。おそらく学説上も、違法性の意識可能性説が今や多数説となっている。このような立場からは、違法性の錯誤について相当な理由がある場合、違法性の意識が不可能であっとして、故意責任が否定されることになる。
# もっとも、従来の判例をおしきって、違法性の意識不要説を固持するかもしれないが、そうすると、上記事件の判例で述べたことはなんだったのかということになる。

 問題は、どのような場合に、錯誤に相当な理由があるといえるかということにある。このような点について、それほど明確な意見の一致はない。ドイツの多数説にならって、事前に自己の行為の違法性を解消すべく、信頼に値する情報源に照会することが必要だとするもの、行為時における法的知識と能力を発揮して、法的に禁止されているという認識に到達しうるかということを問題とするものなどがある。
 特に前者の見解は、未知の領域では、頼るものがなく、結局自分たちの判断でしか違法か適法かの判断をせざるをえなくなった場合、行為者の不利に判断することになろう。それは、法的安定性をきわめて重視するという発想がその見解の規定にあることからも、うかがえる。しかしながら、法的に妥当か妥当でないか、適法違法か、判別できない領域が存在することをただちに行為者の責めに帰せしめてよいかは疑問が残る。このようなグレーゾーンを解消するには、最終的には裁判所の判断を待たざるをえないし、そもそも、このような状況を創出したのは、立法府のミスあるいは懈怠によるものといえる。刑罰法規の明確性が十分になかったともいえる。
 Jakobsは、違法性の錯誤について、錯誤が行為者の責任領域にあるのか(管轄:Zuständigkeit)、あるいは、錯誤が国家・規制当局の責任領域にあるのかによって区別し、前者については故意責任を認め、後者については故意責任を否定する。たしかに、上記のような場合について、後者に位置づけるものではないが、しかし、日独の刑事立法の相違、とりわけ犯罪化する際にどの程度詳細に行為態様を規定するのかということを考慮した場合には、国家・規制当局の責任領域にあるものとして、故意責任を否定すべきものではないかといえる。
 違法行為をしたのに処罰されないという批判は、処罰感情に流れすぎているにすぎない。このような処理をしても、当該行為の違法性を認定し、宣言することによって、グレーゾーンは解消され、違法・適法の限界づけが明確になり、それにしたがった行為規範が形成されるのである。法の妥当性を確認し、あるいは、確証することが裁判の重要な機能とみるなら、このような解決は容認されよう。刑事裁判を私的復讐の代行とか、国民感情の充足にみるような立場から、でてこないにすぎない。

# 弁護士と十分に相談すればよかったということも考えられなくはない。ただし、きわめて個人的な体験から、弁護士のGOサインも信用できるとはいえない場合があると思っている。ある企業の新しい業務スキームで、合法との意見書を書いて欲しいといわれたが、どうみてもその理屈は弁護士のこじつけで、違法としかいえないようなものであり、問題点を指摘しまくったら、音沙汰なしになったりとか。某金融取引で、違法なのに、なにも考えずに迎合的にGOサインを出したがゆえに、某企業が倒産にいたったりとか。

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コメント(5)

こんばんは~☆。あら、こちらでは、こんにちは、かしら♪
24日の日付で、3つの長エントリー。
こちらのエントリーは、明確性の話も踏まえて、違法性の意識についていらっしゃる。しが研が、昨日、うんうん唸って、ほとんど明確性について書けなかったことを、さらっと書かれていらっしゃる♪
さすが、大学の先生でいらっしゃるわね~♪
グーグルさんは「羽田空港ビル事件」をまだ1件しかご存じないみたい♪
あら、こんな時間だわ。それでは、またね~☆

こちらは、事実に争いはないけれども、法令の解釈の相違だったというときに、どうなの?ということです。事実関係もほんとのところはよくわからないので、法令解釈の相違なのか、そもそも事実が本当なら明らかに違法といえるものなのかも、わかりません。
 でも、未知の領域へ踏み出す者に万全をきすようにという危惧感説の発想は、事実の予見可能性の領域だけでなく、法的評価の領域においても、主張するのはいただけないと考えています。

私も今回の問題について違法性の意識の問題を考えて、授業でも学生に聞いてみようと思っています。Jakobs説の適用についても考えて見ます。
#「XXX判的」という表現は避けたほうが無難だと思います。以前研究会である人から英語でラバースタンプ(rubber stamp)と言い換得た方がいいと言われました。

m(_ _)m
修正しておきました。from Narita with appreciation


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