どうも。
けったいな刑法学者さんには、コンピュータ技術に関して過大な期待があるように思える。
と、酔狂人の異説さんにいわれてしまいました。でも、私はコンピュータ技術で何とかしろなどといった覚えはないし、そんなことできるとも思っていないし、と、当惑するばかりです。刃物はどんどん切れ味鋭くしてもらってかまわないです。ようは、使い方を間違わなければいいんです。で、変な使い方をして、人に迷惑をかけたり、傷つけたりしたら、それなりの責任をとってもらわないといけないだけです。
むしろ疑問なのは、
コンピュータは刃物のようなものである。刃物をうかつに扱えば他人や自分を傷つける。だからといって、他人や自分を傷つけないように切れなくすれば刃物としての用をなさなくなる。コンピュータを切れない刃物にすればいいというのは、使い物にならなくすればいいと言っているに等しい。遠回りのようでも、リテラシーを高めていく以外に本質的な改善は望めない。
という言葉を裏返せば、なんか法に過大な期待か、あるいは、極端な見方があるようにに思います。
過大な期待とは、法的な規制には予防効果があって、規制された行為がなくなるのだというものです。私がそのような立場から発言しているのであれば、上記のような評価も遠からずかもしれません。しかし、刑法でなんらかの利益を保護するといっても、所詮犯罪がおこなわれたあとに処罰するだけなのですから、保護されなかったことへの対応しかできません。ある法規制をすることで、法を遵守する心構えがある人たちが規制された行為をしないでおこうと思う(思ったからといってかならずしも違反しないわけではない)という意味で、ちょっとは規制された行為が減ることはあるかもしれません。だからといって、一般的に刑事規制に犯罪抑止効果があるのだなんていう尊大な発言は、とてもいえません。「ここがロードス島だ!」なんていわれた日には、目も当てられないからです。
極端な見方というのは、もしかすると、バカなやつを守るために法規制をするのはおかしい、というものです。たしかにバカなやつを守るためにいろいろ法規制をしていって、自由を制約するのはよくないという考え方はあります。もっといえば、変に保護するような法規制をするから、ますますバカになるのだとまでいうのかもしれません。ただし、この考え方を徹底するなら、このような情報技術の局面だけでなく、あらゆる局面でそれを完徹しないと、法システムとして整合性がとれなくなります。例えば、利息制限法や消費者契約法などの消費者保護の法規制は、この立場からは、過剰な規制だということになります。そんなものにだまされるやつがバカというようなものであっても、そのような法は救済してくれるのです。
# エクイティの法規制を否定的し、コモン・ローの法規制のみのを支持するリバタリアンが、このような考えにたつでしょう。ただし、エクイティを全面的に否定すると、ベニスの商人において、シャイロックは契約通りアントニーオの肉を手に入れることができます。
そこまでいかなくとも、そんなのにだまされるやつがバカということで、刑事的介入を控えるべきなら、詐欺罪のかなりの部分は成立させてはいけないことになるでしょう。オレオレ詐欺ではなく、振り込め詐欺も、霊感商法も、キャッチセールスも、ちょっと冷静になればわかるだろうということで、だました連中を処罰してはいけないことになりかねません。社会的に問題とすべき被害(個人的なものから国家的なものまで)が発生した場合に、それを引き起こした者に責任を追及するのが、刑法の中心的な役割です。そういうのがおかしいというのであれば、刑法などなくすしかないでしょう。
そして、刑事規制かリテラシーを高めるかというのは、二者択一の問題ではなく、両立可能なものです。むしろ、予防という面からいえば、刑事規制などたいして役立つわけではなく、リテラシーを高めるということがすぐれていると考えています。
# 話を犯罪予防一般にひろげますと、西原先生は、その古稀祝賀パーティの挨拶で、「最良の刑事政策は最良の教育政策である」といわれました。これはリストの「最良の刑事政策は最良の社会政策である」にかけていわれたもので、端的に「教育」としてもよいように思います。
# 信頼の保護とかいってはなしをするなんて、お前の立場と違うだろうと、こそっとメールしないでくださいm(_ _)m。前のエントリーはあくまで立法者の考えによる解釈を示したものなんですから。