2006年5月アーカイブ

 刑法学会の第一分科会「犯罪論と刑罰論」で、他の報告者の内容は想定内であったが、「文化的葛藤と刑罰目的論」は興味ある内容を扱っていました。しかし、そこで扱われた文化的葛藤は、自国領域内で文化的葛藤が生じている場合を中心に扱い、域外のものも属地主義の延長線上のものだけでした。
 しかし、文化的葛藤が先鋭した形で現れるのは、属地主義が妥当しない状況において自国刑法を適用しようとする場面でないかと思います。たとえば、公海上のA国船舶内にてA国人による日本人に対する殺人がおこなわれた場合、消極的属人主義に基づき、殺害犯人に対して日本の刑法を適用できる場合を考えてみます。公海上の船舶については、本来属地主義により船籍の国の刑法が適用されるとすると、刑罰の目的を法益保護のための予防に求めようと、法の回復に求めようと、A国の規範に基づいて犯罪が規定され、A国の法益保護、予防、抑止、法の回復がまず最初に考えられるべきことになります。他方で、消極的属人主義により日本の法規範の妥当、法益保護、抑止、法の回復も問題となるのでしょうか。そうすると、そこには文化的葛藤だけではなく、主権の葛藤も生じていることになります。
 さらに文化的葛藤が重なる場合、たとえば、A国の法規範によれば、当該殺害行為が完全に許容される殺害行為であり、そもそも犯罪にすらならない場合、属地主義の法を超越して、日本の刑法を適用し、行為者に殺人罪を認め、行為者を処罰することができるのでしょうか。A国では完全に許容される以上、そのような行為者に対して法の回復や法益を遵守する心構え、抑止の必要性は認めうるのでしょうか。実際に、A国人にそのような行為を抑止するような期待を、日本人がしてもかまわないのでしょうか。

 

ひき逃げと殺人罪

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容疑者の置き去り行為は、毅君が死ぬかもしれないと認識しながら連れ回し放置した、「未必の故意」による殺人未遂にあたる可能性もあるとみている。

asahi.com:男児ひき逃げ、指名手配の容疑者逮捕 佐賀・唐津 - 社会

交通事故により重傷を負わせ、被害者を連れ回した場合に、殺人罪が成立するかというのは、不真正不作為犯の典型的な問題として取り上げられます。この場合、作為義務があるかどうか、あるいは、作為による殺人と同価値といえるかどうかということが議論されます。(保護責任者)遺棄罪と殺人罪はともに生命に対する罪ですから、その作為義務の内容は共通するものがあります。危険犯と侵害犯とみるなら、遺棄罪の実行行為と殺人の実行行為は危険性の量的程度の相違でしかないと考えることもできます。そうすると、不真正不作為犯における同価値性の判断で、殺人罪と遺棄罪をどう区別すべきなのかということが重要な問題となってきます。しかし、量的な相違に過ぎないとすると、これを客観的に区別することは困難となります。そのため、生命に対する危険犯として遺棄罪が規定され、そこに真正不作為犯の処罰も規定されていることから、不真正不作為犯の殺人罪は認めるべきでないとする見解、あるいは、殺人の故意がある場合には同価値性を厳密に判断することなく、殺人罪を認めるべきであるとする見解が主張されます。

ひき逃げと遺棄罪

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 先週から、プライベートでごたごたしています(やむなく全部休講。担当者決めしているものは試験後に補講ですね)が、基本的なことを考える素材として。
# 実家が大阪だと、特別休暇1日はたりません。使われることのない年休を追加しました。

ダンプカーで連れ去り、約3キロ北の同市浜玉町の林道に放置した可能性があるとみて調べている。

asahi.com:53歳土木作業員を指名手配 佐賀の男児ひき逃げ放置 - 社会

 逮捕状の容疑は、業過と道交法違反のようですが、この事件をきいて想起してもらいたいのは、最判昭和34年7月24日刑集13巻8号1163号です。この判決で、最高裁は、過失に因り通行人に約三ケ月の入院加療を要する歩行不能の重傷を負わしめながら道路交通取締法、同法施行令に定める被害者の救護措置を講ずることなく、被害者を自動車に乗せて事故現場を離れ、折柄降雪中の薄暗い車道上まで運び、医者を呼んで来てやる旨申し欺いて被害者を自動車から下ろし、同人を同所に放置したまま自動車を操縦して同所を立ち去つたという事案で、道交法上の救護・報告義務があることから、法令により保護責任者であるとして、保護責任者遺棄罪を肯定しています。
# 業過で逮捕後、さらに保護責任者遺棄罪等により逮捕するつもりなのかもしれません。

不正指令電磁的記録作成の件で、「故意がなければ処罰できない」の話は、「バグのあるソフトウェア」の話としてならば理解しています。

高木浩光@自宅の日記 - 「実行の用に供する目的で」の「実行」とは? その2

私はバグの話はしていません。まず、故意の問題=バグの話というのは短絡させすぎで、故意が存在しない場合の一例として、バグの話があるにすぎません(たぶん理解されていると思いますが念のため)。
次に、犯罪の成否にしても、行為の禁止(高木さんは「規範」といわれますが、「規範」といっても様々な次元のものがありますので、ここでは「法規範」あるいは「法的な禁止」に限定します)にしても、行為者の主観面を切り離して外形的な事実だけをとらえるのは、責任なき行為を禁止するもので、法規範として認めえないものになります。

日本の刑法に不正指令電磁的記録作成罪を新設することは、「そのような不正な指令を新たに存在するに至らしめることは、プログラムに対する社会の信頼を害することを意味する」という規範を、日本に作るということではないでしょうか。

「規範」という概念の使い方がちがうようですので、われわれの世界の用法にしたがって修正しますと(正確に書くと長くなるので適宜省略します)、

  • 供用目的で不正な電磁的指令を作成する行為をしてはいけないという行為規範
  • 供用目的で不正な電磁的指令を作成した者を処罰するという制裁規範ないし裁判規範
が創設されるということになります。前者の行為規範では、故意に行為する場合だけが禁止されているのです。

また作成罪はいらない?

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 熱にうなされているときに、高木さんからコメントをいただいたようです。

「人の使用する電子計算機についてその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせる」ということが作成者の意図であることを要件とする目的犯となるように、法文を修正するべきではないでしょうか。

高木浩光@自宅の日記 - Greasemonkey利用者の感覚と不正指令電磁的記録作成罪立法者の感覚, 「実行の用に供する目的で」の「実行」とはどのような実行を..

 私の表現もまずいのでしょうが、「人の使用する電子計算機についてその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせる」不正な指令を作成するということは、同時にその際、「人の使用する電子計算機についてその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせる」不正な指令を作成するという故意が必要です。ここでは、故意だけでは限定が不十分であり、そのような故意をさらにこえた内心傾向が必要であるということなのでしょうか。
 供用目的をもって、客観的に「人の使用する電子計算機についてその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせる」不正な指令を作成したけれども、そのような認識がなかった場合は処罰できないし、客観的に「人の使用する電子計算機についてその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせる」不正な指令を作成していないときにも、犯罪は成立しない、というのでは、だめなのでしょうか。

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