証拠隠滅教唆は教唆の正道か

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 以前大阪に住んでいた頃、近所に正道会館の本部がありましたが、その創設者による脱税および証拠偽造事件に関する最高裁の判断です。判断のポイントは、教唆といえるかという教唆概念に関わるところです。一般に、教唆犯は、教唆行為⇒教唆行為による正犯における犯罪意思の惹起⇒その意思に基づく正犯の犯罪遂行 ということがその構成要件の内容として要求されており、この事件では、教唆行為による犯罪意思の惹起があったかどうかが争われたものです。この点に関して、最高裁は、次のように判示しています。

Aは,被告人の相談相手というにとどまらず,自らも実行に深く関与することを前提に,Kの法人税法違反事件に関し,違約金条項を盛り込んだ虚偽の契約書を作出するという具体的な証拠偽造を考案し,これを被告人に積極的に提案していたものである。しかし,本件において,Aは,被告人の意向にかかわりなく本件犯罪を遂行するまでの意思を形成していたわけではないから,Aの本件証拠偽造の提案に対し,被告人がこれを承諾して提案に係る工作の実行を依頼したことによって,その提案どおりに犯罪を遂行しようというAの意思を確定させたものと認められるのであり,被告人の行為は,人に特定の犯罪を実行する決意を生じさせたものとして,教唆に当たるというべきである。

 まぁ、教唆に関する議論はおいておいて、個人的にはなぜこのような判断がでるにいたったのかという背景にあります。この証拠偽造事件ですが、自己の法人税逋脱事件に関するものではなく、第三者のものであったなら、被告人とAとは共同正犯として起訴され、有罪とされたのではないでしょうか。少なくとも実務上の共同正犯の運用からすれば、共同正犯とされるはずです。なぜ、本件では、共同正犯ではなく、教唆犯であったかといえば、刑法104条は「他人の刑事事件に関する証拠」を客体としているために、共同「正犯」とすることができず、教唆犯として「正犯の刑を科す」道を選んだからです。
# 統計をみればわかりますが、教唆犯として起訴される犯罪のほとんどは、犯人蔵匿、証拠隠滅、偽証といった司法作用に対する罪です。

 自己の刑事事件に関する証拠を自ら隠滅等した場合は104条の構成要件に該当しないにもかかわらず、判例は、従前より、自己の刑事事件に関する証拠の隠滅等を第三者に教唆した場合について、教唆犯の成立を認めています(最決昭和40年9月16日刑集19巻6号679頁、おそらく通説もそうでしょう)。この論理は、犯人蔵匿罪についても認められ、犯人自身が第三者に自らの蔵匿を依頼した場合にも、犯人蔵匿教唆の成立を認めます。104条の証拠隠滅罪で客体が「他人の刑事事件に関する証拠」に限定されている理由は、犯人自らがその犯罪に関する証拠を隠滅・偽造することは期待可能性がないからだとされています。ところが、判例は「防御権の濫用」を根拠にして、学説も、第三者に依頼してまで犯罪を遂行させることは定型的な期待可能性がないとはいえないとして、教唆犯の成立を認めるのです。

 しかし、正犯として期待可能性がない以上、より軽い犯罪形式である教唆の場合にはなおさら期待可能性がないとするのが、理論的に一貫するのであって、責任の欠如を理由として正犯性を否定するのに、教唆犯成立を認めるのは、共犯の罪責を正犯の罪責に連帯させるもので、共犯処罰根拠を可罰性借用説や責任共犯論に求めないかぎり、説明困難でしょう。責任主義にも反するものといえます。
 では、判例のように、被告人の防御権の行使という点から、違法性が欠如するという説明でいくなら、違法の連帯性から正犯違法に共犯違法が連帯することで理論的にも問題ないといえるでしょうか。実際にも、犯人自身が証拠隠滅や蔵匿を教唆するというのは、本件のように、犯人自らが積極的に加担している場合が多く、司法作用に対する侵害も重大といえ、防御権の濫用といえるかもしれません。
 しかしながら、このような考えも妥当とはいえないでしょう。たとえば、嘱託殺人罪の被害者に嘱託殺人教唆罪の成立を認めるのかといえば、通常はこれを否定するのであって、正犯の罪責をかならず共犯に連帯させるべきとの理屈は存在しません。犯人自身行為がその違法性を欠落させると考えるとしても、規範の保護目的からみて、その正犯性を否定するのであれば、共犯性は当然に否定されると解するのが妥当でしょう。犯人自身が積極的に証拠偽造に関与する形態が存在し、その司法作用への侵害の重大性からこれを防御権の濫用とすべきとの考えも、まさにそのような犯行形態は共同正犯としての共働形態であって、104条がこのような正犯形態の処罰を除外している以上、これをあえて処罰するために、教唆犯に軽減して処罰しようとするのであれば、罪刑法定主義違反に相当するような迂回処罰がその実質にあるともいえます。
 このような視点から本件の判断をみると、教唆として処罰をせんがために、教唆概念を歪めていないのかということも、慎重に検討することが必要になるといえます。

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