「ひき逃げ」と刑事責任

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 表記タイトルでの、岡野光雄先生の最終講義がおこなわれました。岡野先生は、この問題をひじょうに分析的に整理されて納らしたように思います。また、この問題に関しては、すでにひき逃げの重罰化か救護の緩刑化か?というたぬき先生のエントリにコメントしていたのですが、嵐にあったらしく全部削除されています。そこで、今日の最終講義で感じたことと併せて中立的行為における幇助の私のエントリで若干述べたこともふまえ、再度、まとめておきたいと思います。
 その前に、岡野先生の最終講義の前置きのなかに、刑法的な保護の対象の話がありました。簡単にいえば、刑法で問題となるのは被害者の権利であり、その保護、その侵害であるが、近年のひき逃げに関する議論をみると、遺族の権利があまりにも正面に出過ぎているのではないか、というものです。これは無条件に同意されるべきでしょう。このような背景には、遺族の復讐感情、国民の応報感情といった事実的なことがらを刑罰における「応報」とただちに同化させている誤った応報刑の理解があるのではないか、というのが、私の見方です。これは、応報に限らず、予防刑とする立場であっても同様であって、事実的な効果を刑罰において正面から問題とすることがそもそも適切ではなく、規範的なあるいは法的な正義、規範的な効果を追求することが必要ではないかと考えます。私自身は、こういった国民の応報感情なり、遺族の復讐感情を、国民の規範意識、正義、予防などといったオブラートに包んで刑罰論や刑法理論に取り込むことは、ナチスの刑法理論に通ずる恐怖を感じています。

 岡野先生は、ひき逃げに関する問題について、道交法上の二つの義務、報告義務(道交法72条1項後段)と救護義務(道交法72条1項後段)を分析されます。

まず、報告義務について、従来議論されていた自己負罪拒否の権利の視点から考察されます。

たしかに、判例のいうように、当該義務が警察活動という行政目的による義務である限り、ただちには憲法に反しないかもしれない。しかし、報告義務は、その運用上、道交法72条2項の現場残留義務につながるのであり、その義務の延長線に捜査対象となることが明らかであって、単体の法的性質が行政目的によるものだからそれでよいというわけにいかないであろう。
むしろ、義務の履行が自己の刑事責任へとつながるのであるから、義務を履行したことによって自首として扱い、刑を減軽すべきであり、立法的にも報告義務の履行によって必要的な刑の減軽をなすような方策を検討すべきである。

とされます。この点は、すでにたぬき先生のエントリーへのコメントとして書いたことと結論的には同じであるだけでなく、さらに、自己負罪拒否の権利との関係からも考察されているところが注目に値します。さらに、自己蔵匿、自己隠避、自己の刑事事件の証拠隠滅が不可罰であることに言及され、ひき逃げも自己蔵匿、自己の刑事事件の証拠隠滅であることを無視してはいけないとされ、その点からも、報告義務の履行に対する恩恵の付与の必要性を説かれます。

 つぎに、救護義務についてですが、まずその法的性質の理解に注目され、

判例がこれを被害者の生命・身体の安全の保護に着目しつつも、あくまで行政目的による義務と解することから、故意の傷害罪においても救護義務を認めていることは、適切でない。
とくに、現在では、その法定刑の上限は懲役5年であり、これは保護責任者遺棄罪の法定刑に相当するものであり、その保護法益をたんに行政目的とするのではもはや説明できないのであり、ひじょうに自己都合的に教護義務の法的性格を理解している。
ましてや、現在改正案として提案されているように、救護義務違反の法定刑の上限を懲役10年とするのであれば、もはやこの義務違反の罪を行政利益の保護とみることはできず、交通事故における被害者の生命・身体の安全を特に保護するものと理解するほかはないであろう。このような理解からは、故意犯について救護義務は生じないと解すべきである。

とされます。この点は私にとってひじょうにに示唆的でした。かつて、私がコメントしたたぬき先生のエントリーはつぎようなものでした。

 発想を変えてみたらどうでしょう。刑法には、43条ただし書きに「中止未遂による刑の減免」規定がありますし、228条の2には身の代金目的誘拐罪等に解放減軽の規定があります。いずれも、被害者にとっては、さらなる被害を防ぐ機能をもっています。  同じように、交通事故の場合にひき逃げを重罰に処するのではなくて、真摯に被害者を救護した人物に刑の減免という特典を与えるのです。それも、飲酒運転の場合でさえも。

天才たぬき教授の生活 | ひき逃げの重罰化か救護の緩刑化か?

これに対して、中止未遂的な刑の減免より、自首による刑の必要的減免のほうがよいのではないかとしたです。ただ、岡野先生の講義を拝聴して、私自身が二つの義務を多少混同してとらえていたのではないかと思い至りました。つまり、たしかに報告義務については自首のような構成が望ましいが、救護義務に関していえば、たぬき先生のいわれるような中止未遂的な構成がより適切ではないかと思えます。このあたり、コメントが削除されてしまってたぬき先生からの対応も消えてしまったのが惜しまれます。
 なお、救護義務が交通事故における人身の保護という理解を前提にすれば、岡野先生のいわれるように故意犯については当然救護義務が生じないと解すべきでしょう。これは、通常の傷害罪で救護義務を認めえないのと同様です。では、傷害罪と並んできていされている危険運転致死罪について救護義務は生じないということになるのでしょうか。一般に本罪は故意の人身犯(暴行の結果的加重犯の特殊類型)として理解されているからです。
 さらに付言すれば、個人的には、過失犯はまさに例外的な処罰であり、そこに結果の重大性だけを頼りに、あるいは、行為者の反倫理性だけを頼りに、重罰化をはかるというのは、克服されたかに見えた結果責任や責任なき処罰を復活させるものでしかないということも思いました。

# 引用した岡野先生の考えのまとめは私のフィルタが入っているのであり、正確でない可能性もあります。伝聞であることにご留意下さい。

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コメント(3)

最終講義がおこなうんだね

きょうiusはstrafrechtはここで表記されたみたい…
きょうiusは、strafrechtとタイトルとか講義されたみたい…

刑事の話だよね♪

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