2009年2月アーカイブ

因果関係と択一的認定

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 mixiで後輩に教えられた事件です。たまには,真面目に。

起訴状によると、(被告人)は07年12月2日早朝、小倉南区下曽根の横断歩道上で、あおむけになった同区の飲食店従業員(A)さん(当時35歳)に馬乗りになって首を絞めた。その後、〈1〉頸(けい)部圧迫による心停止〈2〉頸部骨折で身動きできなくなった後、通りかかったタンクローリーに頭部をひかれて脳挫滅――のいずれかで(A)さんを殺害した、としている。

[From 首絞め最中に交通事故...殺人それとも殺人未遂+過失致死 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)]
※筆者により匿名化

 (1)行為者の扼殺行為とそれによる致死という経過と(2)行為者の扼殺行為⇒路上での身動きできない状態の作出⇒タンクローリーによる轢死という二つの因果経過いずれかで,いずれの経過についても,扼殺行為から被害者の死に対して因果関係を肯定できれば,殺人罪の既遂を肯定しうるということでしょう。他方で,いずれか一方の因果経過について,刑法上の因果関係を肯定できないとなれば,既遂の証明がないものとして,未遂にとどまることになるわけです。
 問題は,(2)の経過について,因果関係を肯定できるのかということですが,横断歩道上でこのような行為を行なうことについて,車に轢かれることは,ありうるものといえそうで,当該行為にそのような危険が内在しているともいえそうです。とすれば,因果関係を肯定するのは,それほど難くないように思います。マンションで暴行を加えられた被害者が高速道路に逃げ込んで,事故に遭うということ(最決平成15年7月16日刑集57巻7号950頁)よりは,よりありえる事態でしょう。

 最近の流行の議論からいえば,このような場合に故意があるといえるかどうかで,通説(おそらく判例も)からすると,行為者の認識した因果経過が相当であれば故意を認めうるとしますが,結果発生の原因となった危険を認識しなければならない等という見解からすると,行為者が,自己の扼殺行為について,車による轢死の危険が内在していることを認識していたのかどうかが問われることになるでしょう。

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