2009年6月アーカイブ

科学的証拠の意味

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 年度が替ってから,次期中期計画がらみの雑務が降って涌いて,どたばたしまくりな日々です。大学みたいにコンプライアンスのかけらも見あたらないような教員が多数いるところで,どうしてコンプライアンスなんかやるのかと,どっかにいいたい気もしますが。
先週の話題は,もっぱら足利事件でしょうか(あるいは,短答の発表かも)。いろいろ書かれていますが,個人的には,中山先生のものが一番的確な指摘ではないかと思います。

誤判の原因がDNA鑑定の技術の進歩の差にあったという形で矮小化してしまうのは、表面的な言い逃れに過ぎず、

(中略)

この事件では、DNA鑑定が有罪の証拠とされただけでなく、嘘の「自白」を引き出すために利用されたという事実に注目すべきです。誰もが不思議に思うのは、無期懲役にも当たるような重大な犯罪について、真犯人でない者がなぜ嘘の「自白」したのかという点です。

[From 中山研一の刑法学ブログ : 足利事件の教訓]

 法務省ないし検察庁は,DNA鑑定の制度の問題を軸に問題点をとらえているようですが,それは,科学的証拠が明らかにしているものを適切に評価しろ,といえばたりるものでしかない気もします。むしろ重要なのは,科学的証拠を適切に評価しないなかで,犯人だと決めつけて,捜査を行なうという体質的なものに問題があるのではないでしょうか。足利事件で,この方は,その他の二つの事件についても,「自白」をしています(不起訴とはなっていますが)。しかも,最初の自白は,任意同行のされた当日だったようです
# この点で,「『代用監獄』における密室の長期間にわたる取調べ」にも中山先生は,言及されていますが,このこと自体は,今回の件と直接は関係しないでしょう。
 おそらくDNA鑑定がない頃であっても,例えば,遺留物の血液型と一致するから,犯人だろうということで,自白を得ようと努力されてきたわけで,このようなあり方を再度見直さない限り,こんどは,DNA鑑定とは別の証拠評価を見誤ることで,別の形のえん罪もありうるのではないでしょうか。
# この事件では,DNA鑑定だけが取り上げられていますが,1審・2審で,精神鑑定をした著名な方は,当時の被告人を小児性愛者だと断定して,つよく非難していたような記憶があります。その鑑定内容について,あるいは,一般的な精神鑑定の信頼性についても,本来は再検証すべきなのでないかという気もしなくもありません。

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