刑法総論の最近のブログ記事

因果関係と択一的認定

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 mixiで後輩に教えられた事件です。たまには,真面目に。

起訴状によると、(被告人)は07年12月2日早朝、小倉南区下曽根の横断歩道上で、あおむけになった同区の飲食店従業員(A)さん(当時35歳)に馬乗りになって首を絞めた。その後、〈1〉頸(けい)部圧迫による心停止〈2〉頸部骨折で身動きできなくなった後、通りかかったタンクローリーに頭部をひかれて脳挫滅――のいずれかで(A)さんを殺害した、としている。

[From 首絞め最中に交通事故...殺人それとも殺人未遂+過失致死 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)]
※筆者により匿名化

 (1)行為者の扼殺行為とそれによる致死という経過と(2)行為者の扼殺行為⇒路上での身動きできない状態の作出⇒タンクローリーによる轢死という二つの因果経過いずれかで,いずれの経過についても,扼殺行為から被害者の死に対して因果関係を肯定できれば,殺人罪の既遂を肯定しうるということでしょう。他方で,いずれか一方の因果経過について,刑法上の因果関係を肯定できないとなれば,既遂の証明がないものとして,未遂にとどまることになるわけです。
 問題は,(2)の経過について,因果関係を肯定できるのかということですが,横断歩道上でこのような行為を行なうことについて,車に轢かれることは,ありうるものといえそうで,当該行為にそのような危険が内在しているともいえそうです。とすれば,因果関係を肯定するのは,それほど難くないように思います。マンションで暴行を加えられた被害者が高速道路に逃げ込んで,事故に遭うということ(最決平成15年7月16日刑集57巻7号950頁)よりは,よりありえる事態でしょう。

 最近の流行の議論からいえば,このような場合に故意があるといえるかどうかで,通説(おそらく判例も)からすると,行為者の認識した因果経過が相当であれば故意を認めうるとしますが,結果発生の原因となった危険を認識しなければならない等という見解からすると,行為者が,自己の扼殺行為について,車による轢死の危険が内在していることを認識していたのかどうかが問われることになるでしょう。

秘密漏示罪と必要的共犯

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 奈良県で家族3人が焼死した放火殺人事件をめぐり、中等少年院送致になった長男(17)らの供述調書を引用した本が出版され、精神鑑定を担当した京都市の医師(49)が秘密漏示容疑で奈良地検の家宅捜索を受けた問題で、医師が地検の任意の事情聴取に対し、「(著者から)頼まれたから調書を見せた」と漏洩(ろうえい)を認める供述を始めたことが22日、わかった。

 こうしたことを受け、医師も供述を変え始め、草薙氏に強く頼まれたため調書を見せたことを認めたという。
 地検は草薙氏や講談社の担当者らについても、職務で知った個人情報を漏らした秘密漏示容疑の医師の「身分なき共犯」にあたる可能性があるとみて聴取する方針。

asahi.com:鑑定医、漏洩認める 「頼まれ見せた」 調書引用 - 社会

 「漏示」といっても、公然と一方的にしゃべるわけじゃなくて、漏示の相手方が必要です。ところが、秘密漏示罪は、特定の身分のある者の漏示行為のみを処罰し、漏示を受けた者を処罰していません。いわゆる必要的共犯の対向犯に相当するのですが、一方当事者のみを処罰しています。わいせつ物等販売罪(刑175条)で、販売した者のみを処罰し、購入者を処罰していないのと同じ構造になっています。
 このような場合、通常の形態における相手方は処罰されないものと解されています。判例も、弁護士でない者に報酬を払う約束で弁護し活動を依頼したという非弁活動の禁止に関する教唆が問題となった事案で、「ある犯罪が成立するについて当然予想され、むしろそのために欠くことができない関与行為について,これを処罰する規定がない以上、これを、関与を受けた側の可罰的な行為の教唆もしくは幇助として処罰することは、原則として、法の意図しないところと解すべきである。」としています(最判昭和43年12月24日刑集22巻13号1625頁)。さらに、導入預金に関する事案でも、同様の趣旨を判示し、「通常予想される行為に止まる」行為について共犯として処罰できないとしています。

可罰的違法性

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 大阪府松原市のコンビニエンスストアの外壁にあるコンセントを無断使用し、携帯電話を充電したとして、大阪府警松原署が中学生の少年(15)ら2人を窃盗容疑で書類送検していたことが、19日わかった。
 充電時間は約15分で、電気代の被害額は1円だが、同署は「金額はわずかでも、犯罪であることに変わりはない。見て見ぬ振りをせず、法律に従って手続きをした」としている。

1円でも盗みは盗み、コンビニで携帯に無断充電の少年送検 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 こういった報道に接すると、すぐに想起するのが、一厘事件(大判明治43年10月11日刑録16輯1620頁)であろう。これは、価格1厘弱に相当する葉たばこを政府に納入しなかったという煙草専売法違反の事件である。大審院は、零細な反法行為は犯人に危険性があると認めるべき特殊の情況のもとに決行されたものにかぎって処罰すべきであるとして無罪としたのである。冒頭の想起がなされるのは、この判例をもとにして、客体の価値が僅少の場合には財物性が否定されるとする理解が一般になされているからであろう。
 しかしながら、この判例の射程範囲として、財産犯における財物の価値性一般にまでおよぶとみるべきかは、慎重でなければならない。事案が、煙草専売法という国家財政の確保を目的とする法律に関するものであり、刑法の財産罪とは異なる価値に依拠する法益が問題となっているのに加え、事案の性質からみて、政策的判断が相当程度介在している可能性があったからである。

親告罪

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 学務の多忙による疲れの回復が休みのほとんどを占める今日この頃です。最近は週末、原因不明の発熱がありますし。とはいえ、ゴールデンウィークは、後半、訳あって親告罪の勉強をしました。まとまったものが少ないのですが、一連の黒澤論文はかなり示唆的なものが多かったように思います。
#「条件付親告罪」でいいのかはちょっと疑問に思いました。決まった言い方があるわけではないですが。

 ところで、親告罪の告訴の法的性質について、たしかに実体法的な考慮をする余地はあるのでしょうが、それだけが決定的であるわけでないでしょう。違法・責任とは別個独立の犯罪の構成要素を考えるのならば、別でしょうが。なので、実体法的な観点を考慮しつつも、国家訴追主義との緊張関係において告訴を理解していく方向が適切なのかもしれません。ただ、重大犯罪にのみ私人訴追みたいな制度や附帯私訴を導入しよう(ドイツは軽微な一部の犯罪のみ)と提案されているわが国では、いつまでたっても、刑事法の日蔭の存在から抜け出せないかもしれません。

幇助の成立範囲

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 調べでは、X容疑者は17日夕、Y容疑者を自宅から約2キロ離れたJR長崎駅前の選挙事務所近くに送り届け、前市長殺害を手助けした疑い。

#筆者により匿名化

NIKKEI NET:社会 ニュース

 殺人の正犯を殺害実行現場へ運搬したことが幇助とされたようです。では、実際に運搬したのが、タクシーの運転手であり、前市長の選挙事務所付近が行き先で、客がけん銃を所持しているのを認識し、もしかしたら前市長を殺害するのではないかと考えていた場合、このタクシーの運転手に殺人幇助罪は成立するのでしょうか。

自己嫌悪の週

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通帳詐欺は高裁レベルで有罪の判決が続々ですね。

 銀行においては,口座開設を承諾するか否かにおいて,口座等の利用を口座名義人が行うか否かは,口座開設を承諾し,キャッシュカードを交付するか否かを判断する上での重要な要素になるというべきである。

奥村弁護士の見解 - 他人にキャッシュカードを譲渡する目的で銀行に対して自己名義で口座開設を申し込みキャッシュカードの交付を受ける行為は詐欺罪となる(仙台高裁h18.11.7)

 誰が口座を利用するかどうかが口座開設で重要なら、だれが購入した酒類やたばこを飲用するかもやはり重要というべきでしょう。あるいは、18歳未満への販売を規制されている雑誌・書籍についても、だれがその雑誌や書籍を読むのかも重要でしょう。というわけで、この論理だけでは、未成年で自分で飲用するつもりなのに、成年の第三者(たとえば父親)が飲用するものと偽って(この点を明示しなくとも、未成年が購入する場合は当然その用途であることが前提となっているので、欺罔があるといえます)酒類・たばこを購入することは詐欺罪を構成するし、有害図書指定等により18歳未満への販売を禁止されている雑誌・書籍を18歳以上だと偽って購入する行為も、詐欺罪を構成することになるのでしょう。さらに、未成年への販売を禁止されている馬券(勝馬投票券)等についても、同様に解すべきです。警察の方々、がんばって、そういった行為も検挙してください。

中立的行為による幇助

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福岡県警東署は11日、同容疑者が直前まで飲んでいた店と、助手席の同乗者(20)について、道交法違反(飲酒運転ほう助)容疑での立件を見送ることを決めた。
 調べによると、同乗者は飲酒運転を勧めてはおらず、店側も車で帰ることを知らなかったという。 

Yahoo!ニュース - 時事通信 - 同乗者と店は立件せず=3人死亡の飲酒運転事故−福岡県警

 店の側が車で帰ることを認識していたなら、幇助になるということか。これも中立的行為による幇助が問題となる一例。Winnyの事件に関して、幇助を否定すべきとの主張のなかには、飲食店が車に乗ることを知って酒を提供しても、飲酒運転の幇助はまったく成立する余地がなくなるものもある。それでよいと、開き直るならそれはそれだが、そうでないなら、あまりに視野が狭い。

 本書に関連しては、学会報告もあり、刑事法ジャーナルvol.4には書評も載っています。ちょっと、不作為犯がらみが続いているのでその流れで。
 基本的には、刑事法ジャーナルの島田書評に述べられていることだろうと思います。とくに、()内に書かれている心の声がより重要ではないでしょうか。個人的には、因果性の問題を重視するのであれば、義務犯ということはいう必要がない気もします。もし作為犯が因果性で規定されるのであれば、真正不作為犯のみを義務犯とすればたりるのであって、不真正不作為犯は別の根拠による基礎づけがさらに必要になってきそうではないかということが、私の感想です。

ドイツ刑法13条の意義参照

6月1日は不作為犯の日

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 スパマーのPCがワームに感染すると、大量のウイルススパムがくるようで、メール受信に困難をきたしている今日この頃です。朝1限から4限まで四コマともなんらかの形で不作為犯を扱いました。法科大学院の経済刑法では、企業組織における刑事責任として、管理・監督過失からはじまり、刑法演習のシャクティ事件、大学院での不作為の因果関係、最後に不作為犯をテーマにした2年生むけ演習の復習ゼミ。そのなかで、印象的だった発言は、最後の復習ゼミでの2年生の発言。

刀で斬りつけるような作為による殺害は、刀を斬りつけることをやめれば、殺害の結果は生じない。斬りつけるか斬りつけないかという行為者の意思決定に被害者の生死がかかっている。不作為の場合も、この場合と同じように、助けるか助けないかという行為者の意思決定に被害者の生死がかかっている場合に、作為との同価値性があるのではないか。

 先行行為により原因を創出した場合には、基本的にそれを解消する義務があるから、全部殺人との同価値性を肯定してよいとの発言に対してなされたものです。

Aの息子Bは,やはり被告人の信奉者であったが,後遺症を残さずに回復できることを期待して,Aに対するシャクティ治療を被告人に依頼した。

刑法授業補充ブログ : 刑法演習@HD大Klausur(1)

 判例では、息子との関係では、保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯を認めるのですが、いつもわからないことは、この場合、罰条はどのように記載するのでしょうか。実務はどうするのかというのと、理論的な意味でどのような構成要件、罪数処理をするのかということの両方の点で、わからないのです。

最近のブログ記事(続々・けったいな刑法学者のメモ(補訂版))

監禁致死罪の監禁行為と致死との因果関係
 最高裁判所平成17年(あ)第2091号…
宣告刑の重さと無免許運転罪の故意
 国民保険料に関する大法廷判決がでました…
やっぱり一元化でいいのかも
 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の…