民事責任はたいへんだ

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 あちこちの弁護士らしき人たちの書き込みをみていたら、民法の不法行為では、過失による教唆や過失による幇助も損害賠償責任を負うらしい。罪刑法定主義がないとたいへんだ。しかし、法が行為規範として機能するためには、法的な禁止という次元では、民事も刑事も同一の規範でないといけないだろう。
 だったら、刑法では、過失犯については、統一的正犯概念をとらないといけないのであろうか。なんかなぁ。だいたい過失による教唆とか過失による幇助って、ちゃんと故意の正犯がいるのだから、そいつを処罰できれば十分だろうに。

 なぜ、民事責任では、正犯的な者に損害賠償責任を負わせないのだろう。とれるとこから、とろうということなのか。それより、過失における結果回避義務といってもそれはやはり法的なものだろう。よく見えていない決まり事で、義務が決められるなら、楽なもんだ。だいたい、客観的注意義務を類型化しようというのは、過失についても、罪刑法定主義が妥当するということによるのだから、あとづけで過失がありましたとされてはたまらない。民事責任が生じた損害の分配でしかないというなら別だが、そうすると、一般市民はつねに損害賠償を負うリスクにさらされて生活することになる。なんとも、せちがらいというか、息苦しい世の中だ。

 この世の中、どうも結果責任ばかりになって、民事でも刑事でも責任主義が妥当しなくなっているのだろうか。実務家がそういっているのだから末期的ともいえるし、これがポストモダンの責任論なのだろうか。一般的に明確になっていないのに、存在している慣習というのがあって、それによって法的責任を追及できるといっている弁護士もいるというのも、おどろきだし、ほんの一握りの人が議論しただけで、社会全体に一般化できる規範が存在しているというのも、おどろき。
 アルトゥール・カウフマンが、現在の法実務家はもはや法というものを見失っているといったが、別の意味で、そうなんだ。

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 検察官はテリトリが刑事法に限られているので、嫌でも刑事法専門家になります。弁護士は職域の8割以上が民事なので、嫌でも民事法の専門家にならざるを得ません。罪刑法定主義が検察官の専門職化を促進しているわけですね。

 そうなのかもしれません。でも、やめ検のなかには、刑事法専門だったの?と思わせるような方もいらっしゃいます。時計の針が30年以上も前にとどまったままとか。その状態で、大谷、前田両先生の体系書を読むので、とんでもない曲解をあたかも正しいかのように主張したりするのだというのが、最近、わかってきました。ましてや、山口説、井田説なんてというところです。
 書記官研修所の教科書なんかをみると、うまく判例を基軸にまとめられていて、感心するのです。なのに、執筆者と同じような仕事をしているとは思われない方もいらっしゃるのです。
 おそらく、このことは、他の法分野にもみられるのでしょうね。

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