胎児傷害

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 交通事故で、妊婦に加害し、胎児を死亡させた場合、どのようになるのか、というのは、胎児性致死傷の例でよくもちだされますが、実際の事件です。

凍結路面でハンドル操作を誤った対向車が中央線を越え、夫妻の車に衝突。運転席の夫は鼻骨骨折、妻は左手骨折の上、下腹部を強く圧迫された。胎児は帝王切開で生まれ、11時間の命だった。

 新聞記事なので、感情に訴えるような書き方ですから、その主張である「胎児に人権はないのか」の徹底した行き着く先など考えてはいないでしょう(アメリカの社会保守派のように、受精時から人として扱うべきというなら、それはそれでいいのですが)。
# お@ほ大さんがコメントしていますから、ついエントリーにしちゃえと思っただけですが。ほ大の法科大学院の入試も医事刑法がらみがしつこく出題されていますし。

 胎児性致死傷については、水俣病の最高裁決定(最決昭和63年2月29日刑集42巻2号314頁)が有名です。

胎児は、堕胎罪において独立の客体として特別に規定されている場合を除き、母胎の一部を構成するものとして取り扱われていると解せられるから、業務上過失致死罪の成否を論ずるにあたっては、胎児に病変を発生させることは、人である母胎の一部に対するものとして、人に病変を発生させることにほかならない。そして、胎児が出生し人となった後、右病変に起因して死亡するに至った場合は、結局、人に病変を発生させて人に死の結果をもたらしたことに帰する。

 一般に、この最高裁決定の考えは、母体に対する攻撃によって、出生後の胎児(人)に結果を生じさせた場合でもよいということで、錯誤論の法定的符合説と同様の処理をしたものと理解されています。過失の成否において、法定的符合説の思考を使うこと自体が結果の具体的予見可能性のないところで過失を認めているのではないか、結果責任になっているのではないか、といった批判は、ひとまずおいておきます。問題は、この論理による過失傷害罪の適用範囲と、過失堕胎罪が不可罰であることから母体への傷害罪としてのみ考慮されうる範囲とがどのように線引き可能かというところにあります。

 規範の保護目的(保護範囲)という考えからすると、過失による胎児への加害行為は処罰しないとしている以上、出生後に死亡あるいは症状が悪化した場合も、不可罰とすべきということになり、最高裁の論理は不当だということになります(山中・各論I・49頁参照)。これで話がすめば楽なのですが、一応、実務上はもっと悩むことになるはずです。最高裁の考えの射程範囲はどのあたりかということは、裏からいえば、不可罰の過失堕胎といえるのはどの範囲かということにもなります。そして、堕胎とは、胎児を母体内で殺害するか、あるいは、自然の分娩期に先立って人工的に胎児を母体から分離・排出すること(大判明治44年12月8日刑録17輯2182号)とされていますから、交通事故の場合、行為者の過失によりこのような状況が作出されたといえるときには、母体に対する過失傷害罪の成立にとどめるべきと考えてよさそうです。
 本件の場合、帝王切開による出生があったのだから、堕胎はないと形式的に考えることも可能で、そうすると、上記最高裁の考えにより、胎児に対する業務上過失致死罪の成立を考えることも可能でしょう。他方で、帝王切開による胎児の母体外への排出は、行為者の過失に起因するものであり、帝王切開しなければ母体内で死亡していたので、行為者の過失により自然の分娩期により先立って胎児を排出したと評価できるとすると、せいぜい母体に対する業務上過失傷害罪でしかないということなります。判例では、行為者の行為により決定的な死因が形成されていた場合、医師の治療・救命行為、さらには心停止行為等による結果の改変は重視しないとされていますので、この考えがここでは行為者に有利に働くことになります。記事からは具体的状況はわかりませんが、かなり後者の方向での判断がされたのではないかという印象があります。
 ところで、本件において妊娠9ヶ月ということですが、胎児への業務上過失致死罪を認めるとするならば、では、22週に満たないときはどうするのでしょうか。母体外での生命の保続可能性の有無で結論をかえるのでしょうか。そうすると、22週未満の胎児には人権はないということになります。これはおかしいとなると、受精時以降は全部業務上過失致死罪にしてよいということなります。だとすると、堕胎罪は故意の犯行態様について刑を減軽した犯罪類型となりますし、おそらく母体保護法の人工妊娠中絶の正当化を説明できなくなります。結局は、人権とか生命の保護とか被害者の保護などの、耳に心地よい言葉を並べても、問題がきれいに解決されるわけではなく、より精緻な、具体的な利益の衡量や価値判断が必要となってくることがわかります。

 なお、堕胎概念を、母体内での胎児の殺害と分娩期前での体外への排出の択一関係で規定していることが、この問題を複雑にしていることにあるという気もします。さらに、生命の保続可能性のない段階で排出された胎児の問題、受精卵の保護の問題等、このあたりはそれこそ抜本的に見直すことが必要かもしれません。そういう意味で、お@ほ大さんのコメントにある、

現行刑法を変えるとすれば、全体のバランスをとるために大手術が必要だ。「ヒト」はいつから「人」として扱われるか、どのように扱われるべきかを幅広い視点で考えるべき時期に来ているのは確かだ。
なのでしょう。

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 はじめまして。私は、アルゼンチン発祥の「胎児の日」の制定のスピリッツを日本で紹介している「高知・コスタリカ友好交流を創って行く会」の山下由佳と申します。
 コスタリカ共和国最高裁は、2000年、減数手術を「人間の尊厳規範」に違反する重大な犯罪だと判示しました。ところが、日本では、日母が、減数手術容認の法案を提出しているのです。
 私は、日本でも、アメリカ同様の、「胎児の公民権運動」が必要だと考え、個人や家庭として、心の中に「胎児の日」のスピリッツを受け入れる運動を準備中です。
 同様の観点から研究している立場から興味深く拝見させていただきました。私たちプロライフ派は、日本では少数派ですが、胎児の法的地位の獲得のために問題提起を、政策提案を続けています。
 赤ちゃんポストをビデオ化した生命尊重センターは、刑法学者の金沢文雄さんと交通事故の被害者との対談を300円の冊子にまとめています。是非、ご覧ください。
 私は、現在、高知県を相手取り行政訴訟を起こしています。地裁却下になりましたが、通常抗告を準備して再挑戦する予定です。
 が、付随的違憲審査制度を採用する日本で、民衆訴訟において、「胎児」の原告適格を勝ち取ることが最大の目標です。行政訴訟は、抽象的違憲審査制度との中間点にたつので、可能性はありますが、日本の裁判官に国際レベルの認識がありません。
 時間のかかる闘いになりそうです。情報などありましたら、お送りいただければ幸いです。また、訴訟へ意見書を出してくださる学者さんを募る予定です。
 この訴訟は、将来、法社会学者や法哲学者が学問の世界で紹介していただけるよう法文学の手法でやってみるつもりです。
 現実の訴訟では、難しい面は、シナリオ化して、書いてみるつもりでいます。よろしくお願いいたします。 かしこ。

781-0261高知市みませ38番地 山下由佳
 

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