未必の故意なんていらない

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 たまには本業に戻るためのそなえをしておかないと。。。
判決文、わかりやすく 最高裁、裁判員導入へ文例検討という記事をみたのですが、文例をやさしくするのはいいのですが、問題は認定のあり方あるいは法概念のあり方にあると思うのです。

専門家の間で当たり前のように使われてきた「未必の故意」は、「とっさに『死んでもかまわない』との思いを抱いたとしても特に不自然ではない」と言い換えた。
 ということですが、これでもかなり心理主義的な故意概念を前提しているのではないでしょうか。でも、そんな心理的事実の存在にそれほど意味があるのかどうか、疑問に思っています。そのような心理的事実の存在それ自体は責任ではないでしょう。非難可能性の基礎は反対動機形成可能性ということではなかったでしょうか。だったら、故意については規範的な概念を呈示しておいて、あとは事実認定の問題にもっていけばたりることです。未必の故意なんていう心理的状態それ自体を故意として意味あるものとすること自体が、実は問題があるように思っています。
# フォイエルバッハの誤謬はこのような故意の心理主義的理解にあるなんてことは、えらくはないので、とてもいえないですが。。。

そもそも、端的に「殺意があったかどうか」でいいじゃないかと思うのです。問題は、殺意の有無をどういう事実を基礎に、どのように認定していくのかというプロセスにあるのではないでしょうか。刺したのかどうかとか、刃の向きはどうかとか、傷の深さはどうかとか、どういう状況だったとか、などなど。現在は裁判官がこれをおこなっているので、裁判員制度では、従来のこの認定プロセスをどのようにしていくのかということが問題の本質のような気がします。

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