さる方のご厚意により、およそ24時間前にようやく報道資料として配付された判決要旨を入手することができました。分科会のコーディネータはメールしたと会場でいったが、あやしげなファイルだったのでスパムフィルタで消えてしまったのでしょう。なお、このへんの問題に興味をもっている後輩が、地裁判決が公刊されたら、すぐに評釈を書くといっていましたので、無用の圧力をさけるため、当面積極的なコメントはやめておくことにしました。それでは、せっかく判決要旨をいただいておいてもうしわけないので、以下、雑感まで。
ここで、一般に、次の2つの司法判断を想定してみる。
(a) 違法な利用目的以外に利用価値のない技術(違法目的以外の利用には他の十分な技術が存在する)について、開発者が犯罪幇助の罪で処罰される。
(b) 有意義で価値中立的な技術について、開発者が犯罪幇助の罪で処罰される。社会における現実の利用状況に対する開発者の認識によって。
どちらが技術者にとって不安が大きいか。
革命を起こす目的で確信犯を承知で(a)のソフトウェアを開発し提供する技術者にとっては、(b)の方が不安が小さいだろう。利用状況に対する認識と提供する際の主観的態様を露呈しないように潜んでいればよい。
しかし、有意義で価値中立的な技術を生み出しているつもりの世の大半の技術者にとっては、(a)の方が不安が小さい。なぜなら、違法な利用目的以外に利用価値のない技術など、はなっから開発しようなどとは考えもしないでいるからだ。(YouTubeを提供するのも、本来の目的があってこそだろう。)
善良な技術者は、(a)の司法判断が出ることなど気にもしていない。今回の一審判決で(b)の司法判断が下されたからこそ、今後のソフトウェア開発に萎縮効果をもたらしかねないと懸念しているはずだ。
高木浩光@自宅の日記 - 「不 当 判 決」 村井証人証言は僕ら技術者を幸せにしたか
Tetsu=TaLow先生も、分科会の打ち合わせをしていたら、このようなことを指摘されていました(若干ニュアンスや趣旨はことなるかもしれませんが、この記載自体は伝聞ということで)。個人的には、
- (a)をどのように裁判で立証するのか
- それを解釈論として打出すことができるのか
- 解釈論として可能であったとしてもなお(b)の余地は残るのではないか
これに対して、1の点に関して、IT弁護士は、ソフトウエアフォレンジックスの手法でいけるのではないかという指摘をされました。時間がなくて、言及し忘れましたが、日本はまだデジタルフォレンジックスではなく、コンピュータフォレンジックスのコンセプトにとどまっていますので、まだまだ先は長いかなということでしょうか。