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イスラムの刑罰と法(メモ)

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 イスラム法で,犯罪は,次の三つに分類されるらしい。

  • Huddood:決められた刑罰によって処罰されるもの
    1. Zina:姦通
    2. Qadhf:侮辱
    3. Shurb Al-Khammur:飲酒
    4. Sariga:窃盗
    5. Qat Al-Taria:強盗
    6. Ridda:背教
  • QuissaとDiya:殺人と傷害
    これらの犯罪は,血讐・贖罪金による処罰可能とされる
  • Taazir:違反行為や社会ないし宗教上の不当行為をすべて含むものであり,裁判官の裁量により処罰される

 表記タイトルでの、岡野光雄先生の最終講義がおこなわれました。岡野先生は、この問題をひじょうに分析的に整理されて納らしたように思います。また、この問題に関しては、すでにひき逃げの重罰化か救護の緩刑化か?というたぬき先生のエントリにコメントしていたのですが、嵐にあったらしく全部削除されています。そこで、今日の最終講義で感じたことと併せて中立的行為における幇助の私のエントリで若干述べたこともふまえ、再度、まとめておきたいと思います。
 その前に、岡野先生の最終講義の前置きのなかに、刑法的な保護の対象の話がありました。簡単にいえば、刑法で問題となるのは被害者の権利であり、その保護、その侵害であるが、近年のひき逃げに関する議論をみると、遺族の権利があまりにも正面に出過ぎているのではないか、というものです。これは無条件に同意されるべきでしょう。このような背景には、遺族の復讐感情、国民の応報感情といった事実的なことがらを刑罰における「応報」とただちに同化させている誤った応報刑の理解があるのではないか、というのが、私の見方です。これは、応報に限らず、予防刑とする立場であっても同様であって、事実的な効果を刑罰において正面から問題とすることがそもそも適切ではなく、規範的なあるいは法的な正義、規範的な効果を追求することが必要ではないかと考えます。私自身は、こういった国民の応報感情なり、遺族の復讐感情を、国民の規範意識、正義、予防などといったオブラートに包んで刑罰論や刑法理論に取り込むことは、ナチスの刑法理論に通ずる恐怖を感じています。

 岡野先生は、ひき逃げに関する問題について、道交法上の二つの義務、報告義務(道交法72条1項後段)と救護義務(道交法72条1項後段)を分析されます。

 さる方のご厚意により、およそ24時間前にようやく報道資料として配付された判決要旨を入手することができました。分科会のコーディネータはメールしたと会場でいったが、あやしげなファイルだったのでスパムフィルタで消えてしまったのでしょう。なお、このへんの問題に興味をもっている後輩が、地裁判決が公刊されたら、すぐに評釈を書くといっていましたので、無用の圧力をさけるため、当面積極的なコメントはやめておくことにしました。それでは、せっかく判決要旨をいただいておいてもうしわけないので、以下、雑感まで。

ここで、一般に、次の2つの司法判断を想定してみる。
(a) 違法な利用目的以外に利用価値のない技術(違法目的以外の利用には他の十分な技術が存在する)について、開発者が犯罪幇助の罪で処罰される。
(b) 有意義で価値中立的な技術について、開発者が犯罪幇助の罪で処罰される。社会における現実の利用状況に対する開発者の認識によって。
どちらが技術者にとって不安が大きいか。
革命を起こす目的で確信犯を承知で(a)のソフトウェアを開発し提供する技術者にとっては、(b)の方が不安が小さいだろう。利用状況に対する認識と提供する際の主観的態様を露呈しないように潜んでいればよい。
しかし、有意義で価値中立的な技術を生み出しているつもりの世の大半の技術者にとっては、(a)の方が不安が小さい。なぜなら、違法な利用目的以外に利用価値のない技術など、はなっから開発しようなどとは考えもしないでいるからだ。(YouTubeを提供するのも、本来の目的があってこそだろう。)
善良な技術者は、(a)の司法判断が出ることなど気にもしていない。今回の一審判決で(b)の司法判断が下されたからこそ、今後のソフトウェア開発に萎縮効果をもたらしかねないと懸念しているはずだ。

高木浩光@自宅の日記 - 「不 当 判 決」 村井証人証言は僕ら技術者を幸せにしたか

Tetsu=TaLow先生も、分科会の打ち合わせをしていたら、このようなことを指摘されていました(若干ニュアンスや趣旨はことなるかもしれませんが、この記載自体は伝聞ということで)。個人的には、

  1. (a)をどのように裁判で立証するのか
  2. それを解釈論として打出すことができるのか
  3. 解釈論として可能であったとしてもなお(b)の余地は残るのではないか
という感じをもっています。
 これに対して、1の点に関して、IT弁護士は、ソフトウエアフォレンジックスの手法でいけるのではないかという指摘をされました。時間がなくて、言及し忘れましたが、日本はまだデジタルフォレンジックスではなく、コンピュータフォレンジックスのコンセプトにとどまっていますので、まだまだ先は長いかなということでしょうか。

明大法研特別講義の案内

日時:12月22日(金曜日) 時間3時〜5時
場所:明治大学駿河台校舎リバティタワー15階1156教室
テーマ:刑事責任における故意の意味〜心理的責任論は克服されたか
# 公開方式なので、私のゼミ生等も参加可能とのこと。

これが本業です。タイトルからわかるとおり、通説的な責任論(厳格故意説だけでなく、責任説も含めて)はいまだ心理的責任論にとどまっているというもの。

不能犯だ、幻覚犯だといわれようと、本当にやりたいのは、刑法哲学的なこと。

判決全文はともかく、速報から、なので正確なことはわからないが。

 判決はまず、ウィニーの性格について「さまざまな分野に応用可能で有意義なものであり、技術自体は価値中立的なもの」としたうえで、技術の外部への提供行為が違法になるかどうかについては「その技術の社会における現実の利用状況やそれに対する認識、提供する際の主観的態様による」とする一般的な判断基準を示した。

asahi.com:ウィニー開発者に罰金150万円の有罪判決 京都地裁 - 社会


 このようにいっているのに、

威嚇は、調教可能なあらゆる生物に対して可能であり、有責的に行為する行為者だけでなく、子供、精神病者又は精神的遅滞者、さらには犬などのいくらかの動物にも可能である。もし刑罰が威嚇による調教にすぎないのなら、すべての文化的な近代刑法によって取り入れられてきた責任主義はいったい何だったのであろうか?

法益保護説は決して制限的なものであるわけではない。一定の〔政治的〕方向(Fahrwasseer)においては、より拡張的にもなりうる。たとえば実際ナチス時代にドイツがそうであったように、一定の政党の存立、人種の純粋性などを罪であるとすることさえ可能である。同様にそのような無理な要求(Zumutungen)の拒否は、一つの政策的課題であって、純粋な解釈論的課題ではないのである。

Günther Jakobs(翻訳・川口浩一)「どのようにそして何を刑法は保護するのか?-否認と予防;法益保護と規範妥当の保護」姫路ロージャーナル1号(2005年)33頁以下

民主党は、飲酒・ひき逃げ等悪質な交通事犯を抑止するため、(1)刑法に「酒気帯び運転等業務過失致死罪」を新設するとともに、道路交通法上の救護義務違反の法定刑を引き上げることにより、飲酒ひき逃げの最高刑を15年とする

民主党:刑法及び道路交通法の一部を改正する法律案について

児童ポルノ製造罪と児童淫行罪

| コメント(24)

 最近、児童ポルノ・児童買春の論文書いてくれないので寂しいです。

奥村弁護士の見解 - 「福岡家判平成12年12月6日」の謎

 これは島戸検事への言葉なんでしょうね。そういえば、今日、12月の東京高裁の判決の評釈依頼がきました。順調にいけば9月1日発売ですね。
#一太郎ファイルであったため、開くのが大変面倒でした。σ(^_^)はWindowsになってからの一太郎は嫌いなんで使わないし、仕事の文書も最近は全部Wordですから、Wordのプラグインはいれてないし。

 刑法学会の第一分科会「犯罪論と刑罰論」で、他の報告者の内容は想定内であったが、「文化的葛藤と刑罰目的論」は興味ある内容を扱っていました。しかし、そこで扱われた文化的葛藤は、自国領域内で文化的葛藤が生じている場合を中心に扱い、域外のものも属地主義の延長線上のものだけでした。
 しかし、文化的葛藤が先鋭した形で現れるのは、属地主義が妥当しない状況において自国刑法を適用しようとする場面でないかと思います。たとえば、公海上のA国船舶内にてA国人による日本人に対する殺人がおこなわれた場合、消極的属人主義に基づき、殺害犯人に対して日本の刑法を適用できる場合を考えてみます。公海上の船舶については、本来属地主義により船籍の国の刑法が適用されるとすると、刑罰の目的を法益保護のための予防に求めようと、法の回復に求めようと、A国の規範に基づいて犯罪が規定され、A国の法益保護、予防、抑止、法の回復がまず最初に考えられるべきことになります。他方で、消極的属人主義により日本の法規範の妥当、法益保護、抑止、法の回復も問題となるのでしょうか。そうすると、そこには文化的葛藤だけではなく、主権の葛藤も生じていることになります。
 さらに文化的葛藤が重なる場合、たとえば、A国の法規範によれば、当該殺害行為が完全に許容される殺害行為であり、そもそも犯罪にすらならない場合、属地主義の法を超越して、日本の刑法を適用し、行為者に殺人罪を認め、行為者を処罰することができるのでしょうか。A国では完全に許容される以上、そのような行為者に対して法の回復や法益を遵守する心構え、抑止の必要性は認めうるのでしょうか。実際に、A国人にそのような行為を抑止するような期待を、日本人がしてもかまわないのでしょうか。

 

 旧五菱会の事件で、資金洗浄したとして、組織犯罪処罰法違反(犯罪収益等隠匿の罪)に問われた人に無罪の判決が出ました。 #とりあえず、日経の記事

 まず、犯罪収益等とは、組織犯罪法2条に定義されています。

2 この法律において「犯罪収益」とは、次に掲げる財産をいう。
 一 財産上の不正な利益を得る目的で犯した別表に掲げる罪の犯罪行為(日本国外でした行為であって、当該行為が日本国内において行われたとしたならばこれらの罪に当たり、かつ、当該行為地の法令により罪に当たるものを含む。)により生じ、若しくは当該犯罪行為により得た財産又は当該犯罪行為の報酬として得た財産
 二 次に掲げる罪の犯罪行為(日本国外でした行為であって、当該行為が日本国内において行われたとしたならばイ、ロ又はニに掲げる罪に当たり、かつ、当該行為地の法令により罪に当たるものを含む。)により提供された資金
  イ 覚せい剤取締法(昭和二十六年法律第二百五十二号)第四十一条の十(覚せい剤原料の輸入等に係る資金等の提供等)の罪
  ロ 売春防止法(昭和三十一年法律第百十八号)第十三条(資金等の提供)の罪
  ハ 銃砲刀剣類所持等取締法(昭和三十三年法律第六号)第三十一条の十三(資金等の提供)の罪
  ニ サリン等による人身被害の防止に関する法律(平成七年法律第七十八号)第七条(資金等の提供)の罪
 三 不正競争防止法(平成五年法律第四十七号)第十一条第一項の違反行為に係る同法第十四条第一項第七号(外国公務員等に対する不正の利益の供与等)の罪の犯罪行為(日本国外でした行為であって、当該行為が日本国内において行われたとしたならば、当該罪に当たり、かつ、当該行為地の法令により罪に当たるものを含む。)により供与された財産
 四 公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律(平成十四年法律第六十七号)第二条(資金提供)に規定する罪に係る資金
3 この法律において「犯罪収益に由来する財産」とは、犯罪収益の果実として得た財産、犯罪収益の対価として得た財産、これらの財産の対価として得た財産その他犯罪収益の保有又は処分に基づき得た財産をいう。
4 この法律において「犯罪収益等」とは、犯罪収益、犯罪収益に由来する財産又はこれらの財産とこれらの財産以外の財産とが混和した財産をいう。

このように定義された犯罪収益等の取得もしくは処分につき事実の仮装をし、または犯罪収益等を隠匿する行為、および、犯罪収益等の発生原因につき事実を仮装する行為が同法10条において処罰されています。報道から推察すると、被告人には、犯罪収益等であることの認識があったとはいえないとして、無罪とされたようです。

 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」の「違法性の意識」に関する供述(弁解)で、

このように、「違法性の意識」の問題は、捜査の当初では、抽象的に持ち出されやすい傾向がありますが、捜査の進展につれて、個々の具体的事実に対する認識の有無や、目的犯であれば目的の有無、といったことが問題になって行き、違法性の意識自体を独立して問題にする、ということが次第になくなる、というのが、実務の通常の流れと言えるのではないかと思います。

とあったということで。昔々、違法性の意識は故意の事実認定に解消されると論文で書いたんですけど、これでいけそうだということで。もっとも、

この犯罪構成要件において、実務上、問題になりやすいのは、「相場の変動を図る目的」ではないかと思われます。「目的」ですから、通常の「故意」(一定の事実の認識・認容)よりは、より強い心情が予定されていると解されます。

という点については、「心情」の意味により誤解されやすいかも(心情とかって、それだけで拒否反応を示されることも多いし)。目的も故意と併せもって法益侵害性にかかる主観的側面だということにすぎないとは思うのですが、これはまた別の機会ということで。
# こんなことしてる場合じゃなかったんだわ。英語の読み上げ原稿書かないと。といいつつも、Rodeo Dr.でみたSEGWAYの走る姿はかっこいい。日本でも公道で乗れるようにしてほしいと思ってみたりして。

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